夏休み
夏休みはキライだ
小学生の頃から、夏休み前が憂鬱だった
学校は好きだった
一学期の終わりに、大量に出されたプリントの束
その束の厚み分授業をやって、何もしなくても良い休みを1週間もらえればそれで良いと思っていたし、むしろそちらの方が私にとって都合が良かった
宿題は溜めてしまうタイプ
遊んでいても、ゴロゴロしていても、頭の隅にある宿題というモヤは、自分で片付けない限り消えない
そして現在大学3年生
宿題はない
自由だ
なのに、夏休みは嫌いだ
求めていた自由とは、
夏休みの大量の宿題をどう片付けるかよりも
はるかに難しい問題だった
振り返れば私は
誰かに手招きされながら、導かれながらここまで来たように思う
この事実には中学3年生にして気づいていたが、核心に触れるのを避けていた
こうやってはっきりと言葉に残すことをしなかったし、したところでなんだ、と思っていた
けれど変わらなければいけない
今まで過ごした22年間よりもはるかに長いその先の生活を、どうやって生きていくか
人生は選択の連続というが、選択肢を探すことをやってこなかった
人に出された選択肢を、選ぶことしかしなかった
唯一選択肢を探したことといえば、美術大学に入るということ
高校2年生のとき、自分には何ができるんだ?と考えた結果、美術大学という選択になった
理由は、勉強ができない、デスクワークなんてつまらなそう、なにかを作って達成感を得る快感を忘れられない
そんな理由だろうか
浅はかながらも考えた結果、現在ここにいる
その当時に戻っても、その選択をするかどうか
今の自分には自信を持って、はい、とは言えない
当時の高校の友達とは異なる進路を選んだことで、他の人にはない選択を広げたように見えて、狭めたようにも思うし、そもそも大学で選択の広さなんて決まらない。
自分の選択が良かったと思えるように、行動しよう