冷めないうちに
今日は高校の友達とご飯に行きました!
とても会いたかったので、夏休みが終わる前に会えて良かったです。
昨日、一昨日は国立駅に久しぶりに降り立ちました。一昨日は後輩の劇を観に母校へ。
まあでも、今年の春に遊びに行ってるので久しぶり感はなかったですけど、文化祭の準備期間に外部の人として訪れるのは初めてだったので、とても新鮮でした。
劇を2本観たんですが、どちらも違うタイプの劇で楽しめました。
後半に観た劇は、原作を読んでおり、展開を知っている前提で観ました。事前に情報が入っていると、なかなか劇に入り込めなくって、、、。展開を知ってるからこそ、他の部分に目がいってしまって、集中出来ませんでした。集中しなきゃ、と思って劇を観ちゃいました。
それは観た劇が良いとか悪いとかではなく、観る側の問題だと思うんですけど。
やっぱり、原作を知っている、という時点でストーリーはすでに頭の中に入っているので、その劇に求めることは高度なレベルになります。
展開がわかってるから、観てる側に余裕が出てくるのです。
今回観た作品は特に、伏線を張って張って、回収するときの感動が素晴らしいものだと思うので、私自身に原作の知識が入ってて、入り込めませんでした。途中で、あっここはあそこに繋がってるな〜とか考えながら見てしまって...。
原作を知らずに観た人は伏線うまく回収できたのかな?と思ってしまったり。
これと似たようなことで、何もバックグラウンドや情報を知らずに体験することは、新しい出会いのようでたのしいです。新鮮です。
なんでもそうかもしれないですけど、はじめてでしか得られない感動だったり、驚き?そのときにしか味わえないと思います。
この前同じ映画を2度観たときも思いました。
先が読めてたり、何か余計に知ってたりすると、圧力がかかって頭が働いてしまうというか...。一対一で作品と向き合えていないというか...?客観的には見れなかったり...?
(でも逆に事前に情報を知ってた方が楽しめることもあったり...?お城とか?お寺とか?(美術的な観点ではなく、)歴史と絡めてみると、知ってた方が、より興奮しそうですね。)
だから大切に、はじめてのときの感情とか発見?は心に留めておきたいなと思いました。
思ったことを勢いでバーっと書いているので、イマイチ辻褄の合っている文章かは不安です。もやもや。